1. 役割の交代:私が「家の柱」になる
妻が動けなくなったことで、我が家の風景は一変しました。炊事、洗濯、掃除、買い物。これまで妻が当たり前にこなしてきた家事全般を、私が引き受けることになりました。
仕事から帰り、慣れない手つきで夕食を作る日々。しかし、一番大変だったのは「作業」そのものではありませんでした。
「せっかく作った料理を、妻が暗い顔で眺めている」
「良かれと思ってやったことに、イライラをぶつけられる」
そんな精神的な摩耗との戦いでした。それでも、「今、彼女を支えられるのは自分しかいない」という一心で、私はエプロンを締め続けました。
2. 「大丈夫」という祈りの言葉
「大丈夫、絶対によくなるよ」
一日に何度この言葉を口にしたでしょうか。
妻が「もう死にたい」「自分が情けない」と泣き崩れるたび、私はその手を握り、呪文のようにこの言葉を繰り返しました。
時には、誰かが必ずそばに居られるよう、家族でスケジュールを調整し、彼女を一人にさせない体制を整えました。通院の付き添いも欠かしませんでした。彼女が医師にうまく伝えられない苦しみを、横から補足する。それは、彼女の「声」を一緒に探す作業でもありました。
3. 散歩という「リハビリ」
動きたくないと拒む妻を、半ば強引に外へ連れ出すこともありました。
「少しだけ、外の空気を吸おう」
毎日、決まった時間の散歩。最初は一言も発さず、うつむいて歩くだけ。重い足取り。
けれど、季節の移ろいや風の匂いを感じさせることで、閉ざされた彼女の五感を少しずつ呼び戻したい——それは私なりの、ささやかな抵抗でした。
4. 聖人君子ではいられない:衝突と見放し
すべてを優しく包み込めたわけではありません。
あまりに理不尽な怒りをぶつけられたとき、私も人間として限界が来ました。
「いい加減にしろ!」
と本音で叱り飛ばしたこともあります。
「もう勝手にしろ」と、絶望して突き放しそうになった夜もありました。
しかし、後から振り返れば、その「本音の衝突」さえも、彼女にとっては「自分を一人の人間として対等に扱ってくれている」という、微かな刺激になっていたのかもしれません。
5. 共感の難しさと、寄り添う覚悟
「脚が痛い」「体が重い」
その苦しみを代わってあげることはできません。アドバイスをしても「あなたにはわからない」と一蹴される。
たどり着いた答えは、解決策を提示することではなく、ただ「痛いんだね、辛いんだね」と、その感情を否定せずに共感することでした。
答えのない問いを一緒に抱え続けること。それが、私たち家族に課せられた、もっとも過酷で、もっとも重要な使命だったのです。
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